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高峯山 ・2,106m 小諸市 水ノ塔山 ・2,202m 東篭ノ登山 △2,227.2m 東御市(旧小県郡東部町)・群馬県吾妻郡嬬恋村境界 歩行時間 4時間54分 歩行距離 7.6km 参考図書 新・分県登山ガイド 15 長野県の山(山と渓谷社) 花の百名山登山ガイド 上 (山と渓谷社) 山と高原地図 19 浅間山・軽井沢(昭文社) 行程 高峰高原ホテル駐車場07:47→高峯山分岐08:17→高峯山08:36/08:40→高峯山分岐08:50→林道出合09:10→高峰温泉09:14/09:20→うぐいす展望台09:31/0943→水ノ塔山10:27/10:37→東篭ノ登山11:19/11:37→兎平12:04/12:10→池ノ平(グリーン広場)12:26/12:37→兎平12:46/13:00 シャトルバスで車坂峠へ 山遊日 11/07/23 |
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前回、浅間山に行った時と同様に上信越道を佐久ICで降りチェリーパークラインを通り高峰高原ホテル前の駐車場に車を止めました。ホテルでトイレをお借りした際に初めて分かったのですが横の自然観察センターもホテルの運営で公共施設では無かったのです。それでも快く駐車を許して下さいました。ホテルの前を通り左折をして回り込むと西に向かう高峯山の登山口になります。 |
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最初から高山植物のオンパレードです。イタドリ、ツリガネニンジン、ノギラン、ハクサンフウロ、ミヤマホツツジ。 |
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オニコユリ、コキンレイカ、マルバダケブキ、ウスユキソウ。 |
![]() ニッコウキスゲの群落を見ながら進みます。 |
![]() 左前方(西南西)に高峯山が見えてきたのですがガスではっきりしません。 |
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イブキジャコウソウ、シモツケ、タカネシュロソウ。 |
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南南西の山頂と北の高峰温泉との分岐になります。左折で南南西へ尾根径を進みます。 |
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ウスユキソウ、ムカゴトラノオ、コメススキ、シャジクソウ。 |
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崩れそうな岩が見えてきました。その先に高峯山の山頂標識がありました。 |
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少し下りますが先にも岩が見えます。右前方に「この先登山道不明」の案内があったので三角点は諦めです。 |
![]() 岩の間に高峯神社が祀られていました。 神社と山は「峯」ですがホテルや温泉が「峰」なのは何故なのでしょうか。 |
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山頂から戻る尾根径の方が何となく高く感じます。右(東)側のカラマツ林の先に高峰高原ホテルがあるのですがガスで何も見えません。 |
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先ほどの分岐を今度は直進で北へ向かいます。右前方(北東)がアサマ2000スキー場の笹原ですが、北斜面のためか先ほどまで賑やかだった花々は姿を消してしまいます。 |
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車坂峠から延びている湯ノ丸高峰林道へ降ります。ここは左折で北西の高峰温泉へ向かいます。 |
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池ノ平に向かう林道は7月16日から8月14日の休日がマイカー規制でシャトルバスの運行となっているのですが何故か一台の車が先に進んでいきました。係員の方に尋ねてみたら池ノ平に駐まらないで、そのまま地蔵峠に向かうのならOKなのだそうです。林道の右(北)側が水ノ塔山や東篭ノ登山へ向かう登山口になります。 |
![]() 樹間を北西に向かって10分ほど進むと左(西)側が開けたうぐいす展望台になります。西に北アルプス、北西に東篭ノ登山などが見える絶景地なのでしょうがガスで何も見えません。ここまで休まず来てしまったので小休止です。 |
![]() 右カーブで樹間を北へ下ると・・・ |
![]() また開けて北へ向かう尾根径となります。 |
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岩と砂礫の地帯になって植生も少し変わってきたようです。チョウジコメツツジ、オヤマソバ、ウスユキソウとテガタチドリ、タカネニガナ。 |
![]() ガスが切れて左前方(西北西)の東篭ノ登山がやっと姿を見せてくれました。 |
![]() 天候が回復することを願いながら黙々と尾根径を北へ進みます。 |
![]() 後ろ(南)を振り返ると高峯山も見えてきました。しかし、もっとガスが切れて欲しいのですが。 |
![]() 先ずは水ノ塔山です。 |
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段々と岩が大きくなり乗り越えるのに一苦労です。ここを越したら狭い水ノ塔山の山頂でした。 |
![]() 北へ回り込み左カーブで西へ向かいます。 |
![]() 左(南)側が赤ゾレと云われる大きな崩落地です。 |
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北斜面にゴゼンタチバナ、南斜面にはシナノオトギリ、ヤマハハコはどちらだったか? |
![]() 左後方を振り返ると南南東に高峯山。 |
![]() 後ろの東には水ノ塔山、その右後ろは黒斑山でしょうか。 |
![]() 西の東篭ノ登山に向かいましょう。 山腹に湯ノ丸高峰林道が見えます。 |
![]() いったん鞍部へ下ります。ここが最低鞍部となります。 |
![]() 登り返したら、また鞍部で、再度の登り返しです。 |
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東篭ノ登山の山頂は広い平地になっており北東端に山頂標識と一等三角点篭塔山があります。 |
![]() ガスが流れて景色が見え隠れしています。写真優先で合間にモロキュウとビールです。 東に水ノ塔山、浅間山は全く見えません。 |
![]() 南東に何とか高峯山。 |
![]() 最初は西篭ノ登山と思ったのですが南西ですから見晴岳でしょうか。 |
![]() 西北西の西篭ノ登山はガスで見えません。 |
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西篭ノ登山から湯ノ丸山を眺めるのを楽しみにしていたのですが、このガスではどうにもなりません。西篭ノ塔山へ行って尾根沿いに浅間山を見ながら引き返す計画を池ノ平へ降りてシャトルバスで車山峠へと変更しました。 山頂の平地を南西へ進むと岩と砂礫の地帯を急降下するようになります。こちらからはハイキングスタイルの方が結構登ってきます。 |
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砂礫帯を過ぎるとコメツガの樹林帯になります。東篭ノ登山600m、池ノ平駐車場400mの指導標がありましたから、この間1kmということでしょうか。 |
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兎平に降りてきました。駐車場がシャトルバスの発着所となっておりトイレも完備されています。30分ごとの発車が何と12時台だけが無くて次のシャトルバスは13時とのこと、時間があるので池ノ平も廻ってみることにしました。 |
![]() チップ舗装の緩やかな坂道を下りグリーン広場から南側に見た池ノ平です。 |
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坂道の途中でエゾカワラナデシコ、咲き始めのヤナギラン、今が盛りとヤマオダマキが咲いていました。 |
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湿原にはアヤメ、早くもワレモコウが見られ、帰り道でアカモノもありました。 |
![]() 金500円也のシャトルバスで車坂峠まで戻りました。 |
特別付録 真田の郷 上田市(旧小県郡真田町)
角間渓谷(岩屋観音) 所要時間 26分 |
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車坂峠から湯ノ丸高峰林道へ入り地蔵峠へ、さらに東御嬬恋(県道94号)線で北上し長野街道(国道144号線)へ出て西へ進み、菅平高原との分岐から南下すると真田町に入ります。横沢で左折し真田・東部(県道4号)線に入り直ぐに左折をして角間川沿いの細い道を東へ進むと民家の切れた先に一軒宿の秘湯「岩屋館」があり、直ぐその先の左(北)側に岩屋観音があります。先ずは長い石段を登ります。 |
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猿飛岩との分岐を左折し西側に進むと坂上田村麻呂由来の岩屋観音があります。 |
![]() 分岐まで引き返し、今度は直進して東側の猿飛岩へ向かいます。 |
![]() 真田十勇士の一人、猿飛佐助が修行をしたという猿飛岩です。 |
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横から見てみましょう。下部を見たら後ろ側が低くなっているので、そちらから見たらもっと高さがあるのでしょう。 |
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さらに東に進むと鞍外しの岩分岐になりますが、そこも直進すると見晴台の東屋が現れます。 |
![]() 角間川を眺める見晴台かと思っていたのですが、さにあらずで南西にある鬼ヶ城を見上げる場所でした。 |
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南東へ下ると角間川沿いの林道へ出ました。 |
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林道を右折で西へ戻る途中で右(北)側の岩壁を見上げたらカモシカがいました。こちらが見るというよりも見られているようでカメラを向けても逃げませんでした。岩屋館を通り越して振り返って見ました。 |
角間渓谷(鬼ヶ城) 所要時間 登り 48分 下り 29分 合計 1時間17分 |
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岩屋館を通り越し、ほんの少し西に進んだ左(南)側に幸村公が喉を潤したところが美味しいので後に茶立てに用いたという逸話の残る一っぱい清水(今日は水が出ていませんでした)の横が入口になっています。上田市真田地域自治センター発行のパンフレットでは遊歩道となっていますが分かりにくい中上級者向けの登山道です。 |
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カラ沢状の山径を南に進みます。途中でカモシカに出会ったのですが樹林の中なので暗くてピンボケしか撮れませんでした。 |
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上部でジグザグに進むようになると山径がはっきりしてきます。鬼ヶ城の岩山の裾で、この先の鬼の門方面は崩落で通行止めとのことです。 |
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鬼ヶ城の岩山の下部からクサリを頼りにして登ります。 |
![]() 鬼ヶ城に出ました。こちらが南側の岩山です。 |
![]() 南西方向ですから地形図上の△1,429.5m峰でしょうか。 |
![]() 西の坂城町方向。天気が良ければ北アルプスが見えるのでしょう。 |
![]() 北の岩山、その右は△1,643.6m峰でしょうか。 |
![]() 東南東方向ですから、こちらに湯ノ丸山や烏帽子岳があるのでしょう。 |
![]() 鬼ヶ城の北側をアップで。 |
![]() 北北東の岩屋館もアップで。山と高原地図では・1,449m峰が鬼ヶ城となっていますが鬼の門の誤りと思います。径の不明瞭さと反してマーキング、指導標は、しっかりしています。小さな崩落で径が消えたのでしょう。マーキングをしっかりと拾えば迷いません。 |
日向畑遺跡、松尾古城跡 △1,038.7m 所要時間 登り 23分 下り 18分 合計 41分 |
![]() 角間集落の入口まで戻ると右(北)側に日向畑遺跡の案内があります。 |
![]() 五輪塔や宝篋塔など南北朝、室町から戦国時代と二百数十年間の墓で真田幸隆公以前の古真田氏由来の物とのことです。 |
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松尾古城跡の案内に従い遺跡の左横から山裾を西に向かうと神社が見えてきます。そこで右カーブし尾根径を北東へ登ります。急勾配になるところには左側に巻き径があります。 |
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更に先に進むと石灯籠と祠が見えてきます。そろそろかと思ったのですが未だ未だ先がありました。 |
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石垣が現れ、なるほど古城跡だなという雰囲気が現れます、また先にもありました。 |
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ここには建物が有ったんだろうなと思われる平地もあります。さらに進んだら本丸があったのだろうと思われる小平地になりました。 |
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ここにも石垣が多く残っており西端に四等三角点松尾城、正面の北東には石灯籠と社が建っていました。この先は少し下る鞍部になっており・1,440m峰に向かう尾根になっています。 |
![]() 南端には南南東の角間集落を向いた社もありました。 |
![]() 車道まで戻って松尾古城跡のある峰を眺めてみました。 |
真田山 長谷寺(ちょうこくじ) 所要時間 10分 |
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県道へ出て南下、長谷寺の案内を見て左折で東へ進むと右(南)に駐車場が見えてきます。駐車場の奥(南)に参道の案内があったので、その通りに進むと大門を経て山門へと東に進みます。 |
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正面が本堂です。真田公墓所の案内に従い本堂の前を右(南)へ進みます。 |
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庫裏の前で左折して本堂の右横を東へ進むと正面に真田公墓所が見えてきます。 |
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真田幸隆公夫妻と三男昌幸公の墓があります。右横には長谷寺歴代住職の墓があります。 |
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本堂前まで戻り鐘楼の横を北に抜けて車道へ出ました。こちらは裏口なのでしょう。左折で西に向かうと大型車も駐められる駐車場と綺麗なトイレもありました。きっと観光バスも寄るのでしょう。この下(西)が小生の駐めた一番下の駐車場で律儀にも正式な参道で訪れたのでした。 |
真田氏本城跡 所要時間 15分 |
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県道へ戻り南下、左折して東側に回り込むと城跡の南東端に駐車場があり、そちらから本丸跡の方へ進みます。 |
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高台は北に延びており左(西)横を北に進みます。後ろに高台を振り返ってみました。 |
![]() 北西ですから坂城町や千曲市方面になるのでしょうか。 |
![]() 一段下りて北側へ延びていますが、その先は急降下のようです。 |
![]() 北東ですから横沢集落、その右が松尾古城跡や角間でしょうか。 |
![]() 南の入口に戻りました。こちらは二段の広い平地になっています。 |
![]() 南西ですから、こちらが上田のようです。 |
真田氏歴史館、真田氏館跡 所要時間 30分 |
![]() 再び県道を南下し長野・真田(県道35号)線で右折し西へ向かうと直ぐに御屋敷公園の案内があり左折すると、そこが真田氏歴史館です。 入場料200円也で真田氏三代の歴史が学べます。 |
![]() 西隣に皇太神社(真田氏館跡)があります。歴史館南横の道を西へ進み、細い道を右折すると右(東)側に皇太神社の鳥居が見えてきます。 |
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鳥居を潜り東へ進むと左横に舞台のような物があり。正面には皇太神社の拝殿があります。 |
![]() 右横から後ろに回り込むと神社の奥の院があります。 |
![]() さらに、その後ろは森になっていますから、この辺りが出陣広場なのでしょうか。 |
![]() さらに東へ進むと真田氏歴史館の方へ抜けられます。 |
特別付録 真田の郷 その2 上田市
上田城趾 所要時間 20分 訪問日 11/08/20 |
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小県郡真田町にある真田氏本城(松尾城)が幸隆公によって作られたのが天文年間(1,532〜55年)とのこと、その後、昌幸公が上田に上田城を築いたのが天正11年(1,583年)、豊臣秀吉の時代です。古城から本城までは全て小さな山城ですが、ここは堀と石垣で囲まれた初めての平城です。 昌幸公が築いた城は小規模な物で真田氏が松代へ転封された後に仙石氏がほぼ今の姿を造り、後に松平氏に引き継がれたとのことですが古を偲んで歩いてみましょう。先ずは東端の二ノ丸橋から二ノ丸東虎口へ進みます。 |
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右の北側へ向かって空堀があるので少し進んでみました。余り先に進むと後が大変になるので南に引き返したら鐘楼が見えました。 |
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土塁を西側へ降りて南の二ノ丸東虎口まで進み、右折で西へ進むと市民会館前の駐車場を通り越して左右に櫓を構えた東虎口櫓門になります。 |
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真田石という石垣の中の大石を眺めながら本丸跡に入ると正面に真田神社が祀られています。 |
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神社の右(北)横を西に進むと本殿の先に西櫓が見えます。西櫓の前には西虎口が延びています。 |
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虎口から北を見ると深い内堀が延びています。掘り割りに沿って北へ進みました。 |
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北西櫓跡から右折で東へ、さらに北西櫓跡から右折で南へ。 |
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東虎口の前で行き止まりとなりました。少し引き返して本丸前に降りて南に向かったら神社前の東虎口櫓門になりました。 |
特別付録 真田の郷 その3 長野市(旧埴科郡 松代町)
松代城跡、真田宝物館、真田邸、文武学校、旧白井家表門、旧樋口家住宅、長国寺、旧松代藩鐘楼、矢沢家表門 所要時間 3時間 訪問日 15/07/17 |
![]() 松尾古城、本城、上田城、そして上州の岩櫃城は既に訪れているのですが昌幸公の長男信之公を徳川方につかせ生き延びた松代の町に雨で中止にした山遊びの代替として行って見ました。 |
![]() 信之公が上田から移封されて松代城となり、それ以前の戦国時代には武田信玄公や上杉謙信公の拠点となった海津城だったのですが、今回は真田家の歴史を辿るのだから松代城跡としておきます。 |
![]() 南側から内堀を渡り門を潜ると・・・ |
![]() 本丸跡となり北側にも門がありました。 |
![]() 北西角の物見櫓が建っていたのだろうと思われる高台から北西方向に飯縄山が見えました。天気が良ければ、その左に高妻山も見えるのでしょう。 |
![]() 北門の方に戻りました。 |
![]() 東側にも内堀を渡る橋が架かっていました。 |
![]() 南側の真田宝物館に行き、真田邸、文武学校共通入場券400円也を入手し見学しました。宝物館は見所が多いのですが撮影禁止なので写真はありません。 |
![]() 次は宝物館の南西にある真田邸です。 |
![]() 江戸時代末期に9代藩主幸教公が母・貞松院の隠居所として建てたもので、明治維新以降は真田家の私邸として使われていたそうです。 |
![]() 建物も立派ですが庭園も素晴らしいものでした。 |
![]() その西側にある文武学校です。歌舞伎門を潜ると・・・ |
![]() 正面が南向きの文学所でした。 |
![]() その右手前に西向きの剣術所。 |
![]() 同じ西向きで、その左横に東所(教室)。 |
![]() 文学所の西側に槍術所。 |
![]() その南側に弓術所。 |
![]() 西側に延びた所が的になっていました。 |
![]() 門の西側に柔術所。 |
![]() 剣術所の内部を撮っていなかったので帰りに納めました。 |
![]() 帰り道で文武学校の南東にある旧白井家表門、これは長屋門でした。 |
![]() その東側にある旧樋口家住宅。 |
![]() こぢんまりとした作りですが・・・ |
![]() 裏に廻ったら綺麗な庭園と土蔵もありました。 |
![]() これまでは、直ぐ側だったのですが東に500mちょっとの真田家菩提寺の長国寺に行ったら山門が工事中でした。 |
![]() 元々の菩提寺は真田町の長谷寺だったのですが信之公の時代に、こちらが本寺に代わったのです。 |
![]() 300円の参拝料で信之公御霊屋、信弘公御霊屋から歴代の墓所、真田家の歴史を丁寧に説明して頂けました。 |
![]() 松代四代目信弘公が初代信之公を弔って建てたのだそうです。 |
![]() 本人の御霊屋はぐっと質素になります。 |
![]() 御霊所の後が信之公以降の歴代の墓所となっています。 |
![]() 信之公の墓は当然ながら一番奥にありました。そして、その正面に後々徳川家のほとぼりが冷めてから建てられたという真田信繁(幸村)、幸昌(大助)親子の供養碑もありました。 |
![]() 長国寺に向かう途中で見る予定だった旧松代藩鐘楼を帰りがけに眺めることが出来ました。 |
![]() 矢沢家表門も同様でした。 |