将門山 33.3m 鬼塚 38.1m 印旛郡酒々井町・佐倉市境界 桜山 約30m 印旛郡酒々井町 歩行時間 2時間12分 歩行距離 7.5km 山遊日 11/03/23 参考図書 房総山岳志(崙書房出版) 1/2.5万地形図(酒々井) 行 程 酒々井町役場11:28→朝日橋11:33→勝蔵院11:40/11:42→本佐倉城跡東口11:58→城跡北東端12:08→諏訪社12:18→奥ノ山12:22→城山12:30→妙見社12:38→鬼塚13:00/13:06→バス停「山道」(旧国道296号線)13:10→新国道296号線13:14→勝蔵院13:25→桜山13:27/13:30→桜山の写真撮り13:31/13:39→酒の井13:42/13:44→旧国道51号線13:46→朝日橋13:52→町役場13:57 |
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酒々井町役場(入口に数種類の本佐倉城跡案内パンフ有り)・中央公民館の駐車場を利用し国道51号線沿いに南下、陸橋朝日橋の所で右折し西南西へ進みます。 |
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51号線の旧道(信号酒々井町役場入口)に出たら右折で北へ、直ぐ先のT字路を左折、西に進むと勝蔵院の立派な山門が見えてきます。左横(南)奥の建物に看板が掛かっていたので見てみたら本佐倉城跡調査事務所でした。 |
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山門へ戻らなくとも横から境内へ入れます。木造不動明王座像の収まる本堂で両方とも町指定の重要文化財とのことです。山門から出て、左折で北へ、直ぐにT字路になり左折で西に進みます。 |
![]() 坂を下りながら正面、西北西に将門山(本佐倉城跡)が見えるのですが、この時は未だ確信が持てずにいました。 |
![]() 左前方(西南西)にも山が見えてきたからです。(後から向根古谷と分かりました) |
![]() こんな時には聞くのが一番です。山麓の農家に飛び込んで聞いてみたら、後ろの山が将門山で本丸跡などがあり、買収が済んで整備された。西側の山や南側の向根古谷も含めて本佐倉城跡なのだと古老から教えてもらえました。 |
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将門山東端を少し北へ進んだ所が城跡入口でした。西へ進むと右(北)側に東山馬場跡があり手前が駐車場になっていました。 |
![]() 矢避けの盾が並べられて雰囲気を出しています。 |
![]() 北側に向かう階段が見えたので登ってみたらビューポイントで、こちらが西北西。 |
![]() 北に印旛沼というのですが、今は水路だけなのでよく分かりません。条件が良ければ筑波山が見えるのでしょう。 |
![]() 東南東に延びる尾根に踏み跡があるので進んでみたら、ここが北東端で先は崖、とても下りられそうにありません。 |
![]() 北側の虎口迄戻って来ました。 |
![]() 左カーブで南に進み中心部へ向かいます。 左が城山、前方が奥ノ山になります。 |
![]() 城山と奥ノ山の間は深い堀切になっています。 |
![]() 北に向かって広場が伸びています。城山と奥ノ山は後に回して北に向かいました。 |
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木立の中に社が見えます。調べてみたら諏訪社でした。 |
![]() 先ほどの北側の虎口の西横のようで、北側の樹間に印旛沼を望む景色が広がっています。 |
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北側の土塁に三体の石祠が祀られています。よく見たら三体目は石祠ではなく道祖神でした。 |
![]() 南に戻り、右折で西に進んだら右(北)側が倉跡でした。 |
![]() その先の左(南東)側が奥ノ山です。 |
![]() 房総の魅力500選と記された石柱が立っていますが、こんなのが有ったのでしょうか。 |
![]() 東側へ向かったら奥ノ山の真ん中、北端に妙見宮跡の標識が立っていました。 |
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南東端で下ります。こちらには南側からの虎口もあったようです。城山との堀切を越え北東の城山へ向かいます。 |
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いよいよ本丸跡の城山です。 |
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あちらこちらで調査が進んでいるようです。 |
![]() こちらが北東になるのでしょうか。左端の奥が最初に行った尾根(東山)の北東端のようです。 |
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奥ノ山と城山の間にある深い堀切の南側に獣径が出来ており直接に下りました。横着者は小生だけではなさそうです。西に進み先ほどの奥ノ山に左折した右側に道が続いています。 |
![]() もっと西へ進めるのかなと思っていたのに、竹林の中へ入ったら左カーブで南に下ってしまいました。 |
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社が見えたので行ってみたら妙見社でした。奥ノ山にあったものが降ろされたのでしょうか。 |
![]() 下りてきた所が城跡の南口で正面に向根古谷が見えます。ここから南南西にあるという鬼塚へ向かうことにしました。 |
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東へ少し進むとT字路になり、そこを右折で南に進むと向根古谷の南北端の山裾に珍しい双体の道祖神が祀られ、その脇には石仏が並んでいました。 |
![]() 写真を撮り損なってしまったのですが右手(西)に吉祥寺を見送り南に進み、旧296号線の手前の電柱に隣保館の案内看板を見て右折で西に進むと、右(北)側に鬼塚が見えてきます。 |
![]() 北側に回り込み、隣保館の方から鬼塚に登りました。 |
![]() 前方後円墳なのですが、どっちが円なのかはっきりしません。東から西の方を。 |
![]() 今度は西から東を。 |
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西側に酒々井町の基準点があります。南東側からも眺めてみたのですが、どうも旨く写真に納まりません。近くに高い所は無く諦めました。 |
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電柱看板の所まで東に戻り、右折で右に進んだら直ぐにバス停山道(旧国道296号線)でした。西、西南西と進んだら296号線の新道でした。 |
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新国道296号線を西に進んだあと、左折で旧国道51号線へ、これは最初に車で町役場に向かった道です。もう一つの目的地である桜山をガイドブックで見直したら何と勝蔵院境内とあります。毎度のことでありますが、これなら最初に行くべきだったのです。 |
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勝蔵院と本佐倉城跡調査事務所の間を西に進んだら酒々井町立中央保育園、その先が墓地でした。 |
![]() 墓地の裏から北西側を眺めたら樹間に将門山(本佐倉城跡)が見えました。保育園から、この墓地辺りを桜山と称したのでしょう。 |
![]() もう一度、将門山に向かう道に下りて南東に桜山を振り返りました。 |
![]() 同じ場所から西に見た将門山です。 |
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勝蔵院北側のT字路で将門山に劣らず気になっている存在がありました。「酒の井」の案内看板です。そのまま北に進んだら右側に酒屋の裏舞台が見えてきました。酒屋の誘い込みだったのでしょうか? |
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酒屋の裏舞台には何の仕掛けもなく、先に進んだら突き当たりのT字路、酒の井は右へ進めと案内がありました。その通りに東に進んだら左(北)側に見えた庭園風な所が酒の井で、酒々井山円福院神宮寺の表札もあったのですが寺の建物は見えません。 |
![]() 中央に石碑があり右側の説明看板には「酒好きな父親のために毎日酒を買って帰っていた孝行息子が、ある日、金が無く親不孝と嘆いていたら井戸から酒の匂い、飲んでみたら酒だった。聞きつけた他の人が汲んだら、ただの水・・・これが酒々井の地名になった」と記してありました。 |
![]() 左横に「酒の井」があり、ボタンを押すと音声説明と酒の香りがする水(酒とは書いていません)が出ると書いてありました。 親不孝者の小生には音と水は出ましたが酒の香りは届きませんでした。 |
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路地を東へ進むと車止めの先が旧51号線、右折で南に戻り、先ほど裏舞台を覗いた酒屋の前を通り町役場前信号へ、さらに左折で東へ、新51号線を朝日橋で越して左折、役場前に戻りました。ちなみに、この酒屋で買い求めることはありませんでした。 |