みどり画廊
色紙の部
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今年の四月から「後期高齢者医療制度」というのがスタートするらしい。後期高齢者とはなんともいやな表現である。後期の次は「末期高齢者」だよなあと、テニス仲間と笑うに笑えない話になった。古代インドでは人生を四つの時期に分けた考え方があるそうだ。「学生期」「家住期」そして「林住期」「遊行期」の四つである。これで言うと前記の後期高齢者は「遊行期」にあたる。小生も含め仲間の多くはまだ輝かしい第三の人生「林住期」に居る。それでも最近体力の低下を感じることが多く、筆をとれば仏語を書いたりする、これではいけないと思っている。日頃やろこの友人とテニスを楽しんでいるが、テニスの仲間には九十歳で現役テニスマンもいる、七十歳代は「洟垂れ」と言われそうである。さあ今日も元気をだしてテニスをやろう。 08/03/19 (やろこの球友 俳人 く ぅ) もうすぐ朝ドラの「どんと晴れ」が終わる主人公の人を疑わない笑顔に、なにか忘れかけていることを思い出させる。宮沢賢治の「雨にもまけず」の詩にある名言、「欲はなく」「あらゆることを自分を勘定に入れずに」が思い浮かぶ。「皆にでくのぼーと呼ばれ、褒められもせず苦にもされず」そういう政治家は今わが国にはいないのだろうか。 07/09/09 (やろこの球友 俳人 く ぅ) どちらかと言えば下戸であった父は酒が入ると気宇壮大になり、気前よく時計でもネクタイでも人に上げてしまうことがあった。父の血をひき下戸の小生は歳を経て日本酒党になり、夕食には小生よりはつよい家内と「酒は百薬の長」と云いながら晩酌を楽しんでいる。この架け橋の「酒のうんちく」ページを開いて、全部試飲するのには一生かかりそうだなあ〜と思いながら読ませてもらっている。 06/04/30 (やろこの球友 俳人 く ぅ) かかってきた電話の主に家内が「今日はギンコウにいっております」と応えると、相手は「はあ?」と首をかしげる。俳句で野外や名所旧跡などへでかけて俳句を作るのが「吟行」というのであるが、誰しも「銀行」と思うのは当り前である。同音異語の日本語はむずかしい。先月その吟行で小石川後楽園へ行って来た。お目当ての梅はまだ固い蕾であった。水戸徳川家の上屋敷は約10万坪あったそうだから驚く。その回遊庭園が後楽園として現在残っているのであるが、周りを囲む大東京の街騒が全く聞こえないから大したものである。まさに東京の深山幽谷である。その時の駄句を付記します、ご高覧ください。 唐門の礎石ばかりの寒さかな 完爾 泉水の底うつくしき二月かな 靖 ひらかんと紅梅息をととのふる 英二 冴返る円月橋の水鏡 キン子 06/02/26 (やろこの球友 俳人 く ぅ) 海外旅行の飛行機に長時間乗るのはこたえる。古希ともなると国内旅行の方がよさそうである。先日古希の同窓会が温泉であった。元気なぢぢばばの集まりだったが、全員逃げもかくれもできない「古希」であるから思わず噴出してしまう。でも昔で云えばおそらく還暦健康なのではないだろうか、と自分に言いきかせて参加してきた。 05/10/20 (やろこの球友 俳人 く ぅ) 今年は裏の空家の庭に蝉が大発生、油蝉はもちろん今は法師蝉がさかんに鳴いています。なにか山荘にでもいるような錯覚をします。つい先日この町で蜩を聞きました。蜩の声を聞くと、ますます一年が駆け足ですぎてゆくように感じるのは愚生だけでしょうか。 05/09/03 (やろこの球友 俳人 く ぅ) 或る水彩画の先生が言っていました「絵と俳句はいっしょです、両者ともに強調と省略が大切なのです」。そう言えば俳句の世界で「多作多捨」という言葉があります。沢山作って沢山捨てるということなのです。上手くなるにはなんでも沢山描いて作って捨ててなんですね、でも未だに沢山捨ててばかりですよ。 05/07/23 (やろこの球友 俳人 く ぅ) 定年になったから俳句でもやってみようかという方が多い。俳句はたかが五七五の十七文字を並べるだけでいいのだから、誰でも作れるのである。その上メモ用紙と鉛筆があればよいのだからお金もかからない、結構なことである。 落語に雑俳というのがある。くちなしという題で八つぁんが「くちなしや鼻から下はすぐに顎」と詠む。春雨という題で「舟底をがりがり齧る春の鮫」と熊さんが詠む。実にウイットに富んでいてたのしい雑俳である。初めは雑俳でもだんだんに季語を覚え、句会に出席して俳句の本当の面白さが分かってくる。自分もそんなスタートをした昔があったのである。 05/07/16(やろこの球友 俳人 く ぅ)
「雨ニモマケズ」 宮沢賢治
「静夜思」 李白
一切衆生
新蕎麦や 午後は日照雨の 御岳口
好日や 箸をこぼるる 新大豆
秋の夜や 使ひなれたる 欠け硯
雨後の傘 杖ともならず 鰯雲
一期一会 この語好きなり 秋刀魚食ふ
春寒や まなざし冥き 土偶の目
茸山 夜は水音に 眠りけり
水打って 一日の無居を 治めけり
冥きより 出でて澄みけり 苔清水
花冷や夜道どこかに水の音
人生は束の間の祭りだ
ゆっくりでいい ゆっくりがいい
春寒や堂の木魚の深眠り
若菜野に来てオカリナを吹く子かな
風花やふと口ずさむオラトリオ
棟梁が冬瓜ごろり置いてゆく
彼岸花の丈そろひけり一揆村
ローマの秋恋泥棒に合はざりし
シーザーの兵駆け抜けし霧襖
足音のしたしくなりぬ十三夜
老いの日のわれに新し団栗蹴る
日のなかに翠ゆたかや竹の春
身ほとりの悲喜ないまぜに夏果つる
さびしき実つけて夏草抜かれけり
満願寺まで放列の春キャベツ
吊橋の揺れに身をおく暮春かな
一山の風ききに入る探梅行
恙なき日は雲とほし啄木忌
遺句集を閉じて夜蝉の窓による
「断腸亭日乗」を閉ず余寒かな
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